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「照柿」 高村薫

マークスの山」から引きずり込まれるように読み始めた「照柿」、やるべきことも放って一気に読んでしまった上、すでに「レディ・ジョーカー」に手をつけてしまっている。こういう状況を“はまった”と言うのでしょう。

 

マークスの山」がある事件の物語だとしたら、この「照柿」は個々の人間の物語と受け取りました。しかし前作では爽やかな正義感さえ感じさせてくれた合田さんは荒んでいます。部下の森刑事にも進路に大きな影響を与える何かがあったようだし、描かれなかったマークス事件の結末が絶望を与えるような幕引きだったと勝手に理解してよろしいでしょうか。照柿という色が容易に想像できる暑さの描写と、登場人物たちのどろどろとした重苦しさ。まさに真夏の嫌な暑さのようで最初から最後までしんどい物語です。合田と野田は34、5歳。一般的にも30代半ばというと、何もかもが新鮮で邁進できる20代と比べて、自分の仕事のネガティブな面にも気づき始め、挫折にも出会い、背負うものも増え、己の人生このままでいいのだろうかと思う時期なんじゃないだろうか、と個人的に思います。だから悩むし、改善しようともがくし、もがいてもそんなに前に進めなかったりして苦しくもある。ちなみに私個人は今年の一文字を選ぶなら「もがく」(しかし適当な漢字がわからない)。通常前向きに行き詰まっている自分だけれども、「照柿」の重苦しさの影響をたやすく受けて昨日は暗くなってしまいました。(バッテリー残量ゼロの電動自転車を必死で漕いでいる夢まで見た。)

 

それにしても「マークスの山」同様、圧倒されるラスト数ページ。合田と野田の会話、合田の手紙。またしても食道がきゅうっと収縮するような感覚で読みました。この物語を通して描かれる合田のつかめない嫉妬の正体、それは認めたくなかった野田への憧れということでいいのでしょうか。だからこそ負けたくなかったと。自身の持つ芸術的才能を気づかせてくれる存在なく育ってしまった野田。捨てられなかった少年合田の書いた断罪のメモ。記憶から消えない光景。彼を壊してしまった原体験は色々あるのだろうけど、最後に言った言葉はおかあさんに会いたいだったことを考えると、ひとりの人間にとっての「母不在」の影響力の大きさたるやについて考えざるを得ません。子供が育つ上で人間や社会の明るい面に触れられることの大切さを折に触れて実感しますが、それが必ずしも家族でなくても、良い人間に出会うことで子供は強く育つことができると信じます。そういう意味で共働く家庭も増える中「社会で育てる」ことが重視されているんでしょう。それでもやはり母や父に大切にかまわれているという自信は、子供に健やかで大きな力を与えるのだろうと、野田の言葉から感じてしまいました。

 

ときに、気になり続ける合田と加納兄妹の複雑な関係ですが、「マークスの山」では踏み込めない感情が合田と義兄の間にあるように感じましたが、むむむこれはいったいどういうことなのでしょう。加納の感情は一体どちらに向いているのか、それとも合田と加納の認識がすれ違っているということなのでしょうか。

そしてどうでもよいことですが、合田の白いスニーカー、コンバースがいいです。

 

 

 

 

照柿(上) (講談社文庫)

 

照柿(下) (講談社文庫)