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そぞろごと Reviews + Opinions

「レディ・ジョーカー」 高村薫

下巻を読み始めたとき何かが・・おかしい・・と感じました。割と重要な場面を数ページ読んでしまってから「レディ・ジョーカー」文庫本には中巻があることに気づくという失態を犯したのです。今読んでしまったことが起こると知りながら中巻を読むのだろうと考えると悔しかった。ちなみに文庫本のカバー背面のあらすじですが、その巻のかなり後半で起こることが書かれていることが多々あるので、最近は一生懸命見ないようにしています。 

 

それにしても相変わらず出てくる人がみな苦悩している。誰も溌剌としていない。リアルな世界でも人ってみんなそういうものなんだろうか。いわゆる仕事のやりがいを定義しやすそうな刑事の合田さんは、組織のあり方と自分という矛盾を抱えて相変わらずゆっくりと壊れる途中にある。大企業のトップにまで上り詰めた城山社長も「30数年必死でやってきても会社には自分の所有物は何もない」などの台詞に見られるようなもやもやとした苦しみが見られる。裕福ではないけど正直に生きてきた物井も苦悩。刑事という立派な職業があり家庭もあってバランスよく見える半田の人生も行き詰まっている。一体人生何が正解なのか。

 

以前神話学のジョーゼフ・キャンベルのインタビュー集を読みました。神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) この本の中で彼は「本当にしたいことをすることでしか人は幸せにはなれない」と言い切るのです。お金のために自分を偽ってはいけないと。シンプルでありがちな言葉ではありますが、見て見ぬ振りをしてしまいがちな真実かと思います。ふと今の自分を省みるに、諸々の理由から勤め人人生と別れて自分の情熱を追いかけることにした私は、まだ何の明かりもみえず「導いてくれる人もいない」という照柿ラストの加納のような台詞を言いたくなるような状況ではあるにしろ、幸せな苦悩と言えるのかもしれないと場違いで針小棒大な感想を持ちました。

 

社会人をやっているとレベルの差はあれど「これが本当にやりたいことだっけ」と自分探しもどきのクエスチョンに行きあたることが誰しもあると思います。それが自分は自分を偽っているか否かという問いへの入り口なのだろうか。正直者には見える、繊細な神経の人は感じる、自由な心の持ち主は行動してしまう。そういう必死で自分の在り方を求めてもがく人たちが描かれているから、私は高村薫作品にのめりこみつつある気がします。「レディ・ジョーカー」では自分の情熱を追いかけたいけどそれが何なのかわからない、もっと他に居場所があった気がするけど動けない、何かやり残してしまった気がする、やるべきことが見えているのにそれをなすべき道筋が閉ざされているーーーそんな状況を抱えている人たちが登場し、そんな心持の中合田と半田はお互いを発見してしまった。そして生きている実感を半田は犯罪に求め、合田は最終的に加納に見出したということなのかな。

 

物語の中心に据えられていた大企業社長誘拐事件でさえ、終章ではもっと大きな何かの単なる一ピースのように描かれていたことが、現実もこんな風なのかもしれないと思わせられてぞっとしました。正体さえつかめない大きなシステム、それに対する小さな個々の良心たち。「人ひとりが死ぬ」ということを防ぐことができないこの国のシステムを加納検事は嘆いていましたが、そもそもそういう視点に気づいてしまう人はどうしてもシステムの中で苦しまなくてはならないのだろうか。大きなものの側で立ち回れば苦悩もせず、おいしいこともある(かもしれない)。そんなことを考えていたら、なんとなく村上春樹さんのエルサレム受賞スピーチ を思い出しました。

 

そして合田さんのアイコニックなアイテム、真っ白なスニーカーはリーボックでした。90年代だとフリースタイルかしら?あの靴メンズは履くのかしら?どちらにしろあの時代のスニーカーならかなりごつい感じでしょうか。私にとって90年代のリーボックといえばマイケル・チャン。リーボックのシューズにリーボックロゴ入りの靴下を二重にして履いていたなあ・・・。懐かしい。

さておき、ダスターコートに無難なスーツ、それにリーボックのスニーカーを纏った合田を見て半田は「よほど自分に自信があるのか」と指摘していることから、普通の刑事にはできない斬新さとオシャレ感を感じさせるスタイルだった、と捉えてよいのでしょうか。タバコの銘柄はなんだろう。ひっそりキャスターを推してみる。

そういえば今回の合田さんに関西弁が出なかったのは、心が無のフラットの境地にあったからということなのでしょうか。優秀だけど突出しない、いろいろ考えていても簡潔に事実しか口にしない、疑問を抱くとも組織にチャレンジするわけでもない、だからこそ殻にこもって悩み続ける合田さんシリーズがまだ続いていることを知ったので、読んでみようと思います。

 

最後に、頭の中身を全部出して真っ白な砂を詰めたいと言うヨウちゃんの感性、好きです。

 

レディ・ジョーカー〈上〉 (新潮文庫)

レディ・ジョーカー〈中〉 (新潮文庫)

レディ・ジョーカー〈下〉 (新潮文庫)