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そぞろごと Reviews + Opinions

大人になる儀式

成人の日です。先ほど出かけた先が成人式会場だったのを知らず、幸運にも振袖を着た可愛いお姉さんたちをたくさん目にしました。今年のトレンドなのか着物の柄がとても濃密で派手な方が多かったな〜。ピンク、ふわふわ、お花、巻き毛なぞ、女の子らしさと呼ばれるものを濃縮したような会場でした。会場入り口には地元議員の方が挨拶に立っていたり、どこかの団体が何かの法案に反対する声明を読み上げていたりと賑わいを見せていました。選挙や社会的活動も成人の義務だと言われればそれまでですが、めでたい場所で精一杯めかし込んだ人たちに向かって「戦争反対」を叫ばなくてもよいのではと感じる光景もありました。時と場所をうまく選ばないとどんなに重要なメッセージも素通りされる典型的な事例だなあという感想を抱きながら会場前を自転車で通り過ぎました。

 

そもそも成人式ってなんだろう。偉い人からありがたいお言葉をいただき、今日から社会の一員だ、大人として責任持って行動しろと言われて大人の自覚はできるのだろうか。そもそも何を以って大人なのだろう。日本文化いろは事典によると、明治以前は特定の年齢を成人とするのではなく「1日に60キロの柴を刈って12キロ売り歩けたら一人前」とされたとあります。マサイ族は一人でライオンを狩らないと大人として認められないし、パプアニューギニアでは素手でサメを捕まえないといけないらしい。大人って本来それくらいの勇気・知恵・経験値を備えていて初めて認められるものだったはず。

 

では現代日本において、大人の指標ってなんなのか。昔「くらげのコリコリがわかったらもう大人よ」というCMがあったけど、くらげのコリコリでは判定が難しい。勇気や知恵とか青臭いこと言ったらちゃんとした大人たちに失笑されそうだし・・・。いや、私は新入社員の頃「正論だけでは物事はすすめられない、色々なジジョウを鑑みることができるのが大人のやり方らしい」ことに気づき、自分はずっと青いままでいようと決心したはず。その気持ち、大人だけど忘れちゃいけない。やはり私としては、周りに甘えず自分の足で困難に立ち向かうぞという覚悟を持ち、勇気や知恵や度胸を試す試練を乗り越えた人たちをようやく成人と認めるべきだと思いたい。じゃあどんな儀式をすればよいのかとみんなで考えたら、「全国一斉成人筆記テスト」とか役所が考えそうで怖い。私としてはやはりシンプルに人間としての力を試してほしいので、意外と茨城県の竜神大吊橋で行われているバンジージャンプの成人式が気に入ってます。一見おかしな感じがしましたが、怯えながらも勇敢に飛び降りる振袖姿の女子を見ていたら、すごく原始的な儀式と思えてきて好きです。恐怖を乗り越えて飛び込むあの達成感、後々の人生でつまずいたときにも支えとなってくれそうです。まあ、そんなことしなくてもめいっぱいおめかしして集まる非日常感は、大人の世界に踏み込んだ実感を十二分にくれるのかもしれませんけども。