点々

そぞろごと Reviews + Opinions

魔法のことば、おつかれさま。

本日付の朝日新聞朝刊「折々のことば」にて「お疲れ様です。」がメールの書き出しによく使われていると紹介されていました。「本番に向けて力むことなく助走するための符号みたいに使われているのだろう。」とやや疑問を呈しながら分析されています。本来ねぎらいのことばなのに、と。大いに同感です。

 

メールに限ったことではありませんが、私もサラリーマン社会で使われる「お疲れ様です」には若干の違和感を抱いています。内線電話に出る度、社内で同僚とすれ違う度、相手をねぎらいたい場面でなくとも日に何度もこの言葉を交換し合います。枕詞のようにあらゆる場面で軽々しくお疲れ様と言い合うので、これが社会人の暗黙のルールだと言われているようでなんだか心地悪いのです。一般的に「お疲れ様」と頻繁に声をかける人はたいていオフィスの人気者です。だって感じ良いですもの。だからお疲れ様に「お疲れ様」と返さない人は、大げさに言えば就職活動に普段着で行く人くらい非常識でなっとらんと言わんばかりの社会的雰囲気が漂っているようにさえ感じます。しかし本来「おつかれさま」は相手の労を知り、認め、応援する響きすら含むパーソナルな言葉なはず。ですが今オフィスで使われているその様には心がなく、単なる大人のたしなみとして使われていることが多い気がします。魂のない言葉は口に出したくないシャイな私は、「お疲れ様」と返すのにたいていの場合躊躇してしまい、若干の間が生まれてしまいます。あっ、だから愛想が悪いと思われていたのか。

 

「お疲れ様」は、正しい文脈を伴ったときには魔法のような効果を発揮する特別な言葉であると思います。疲れて帰宅した家で美しい妻(美しい夫でもいい)が「お疲れ様」と言ってくれたなら、日々の精進を見てくれている上司がプロジェクトの終わりに「お疲れ様」と言ってくれたなら、仕事が忙しくかまってやれなかったと申し訳なく思っていた子供に「お疲れ様」と言われたら、どんなに満たされるだろう。だからこそ「お疲れ様」が本来持つ理解、共感、ねぎらい、思いやりを含んだジェネラスでgenerousな意図を込めて使いたいと思うのです。

 

がんばる夫よ、お疲れさま。