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そぞろごと Reviews + Opinions

「楽園のカンヴァス」 原田マハ

そんなにたくさん小説を読んでいません。

小さい頃夢中だったのはエルマーとこまったさんとクレヨン王国シリーズ。高校時代には明治文学が学校で流行し太宰治芥川龍之介(の顔)はどっちが好みかを巡って女子生徒で白熱。大学時代には留学先で三島由紀夫が英語のテキストの題材になるほど有名なのを知り日本人なのに読んでないという事実に焦って読み漁ったことを最後に、社会人になってからはひたすらノンフィクションな本ばかり買っていたように思います。日本史(特に古代史)、神話、哲学や思想、美術史関連、芸術家のインタビュー集、そんな辺りが好きです。

しかし最近なんだかそういった本を読んでも頭に入らない。読んでいても気づいたら数ページ進んでいて自分が本をただ眺めていただけだと気づくこと多々。そうだ小説ならぐいぐい引き込まれて読めるかもしれない、と目先を変えることにしました。

まずは美術史からいってみようと「楽園のカンヴァス」を手に取りました。大学では美術史を専攻したくせに美術の知識は曖昧でぼんやりとしているのです。一体私は大学で何を勉強したんだと顔を赤らめることもしばし起きますので、これを機に色々な物語を通して理解を強固にしたいと心を新たにいたします。

 

そして読んだ直後の感想は、おもしろかった!です。誰も死なずにこのスリル。次を読みたい、結末を知りたいと追いたてられながら読むことができました。美術史を勉強していたころ、美術史家の意義がいまいちわからなかったけど(先生ごめんなさい)、もはや作り手に尋ねることのできない物語を紡ぐ役割だと初めて気づかされました。美術史家の紡ぐ物語が正しいかどうかは、作者本人にしかわからないけれど。(そう言いながらも私はジャスパー・ジョーンズの "The Critic Sees" という作品が好きです。)

  

見出されることの重要さ

作中絵の巧さに言及した台詞がありました。「巧い絵」とはもはや技術的にすぐれているということだけではないと。「新しい何かを創造するためには、古い何かを破壊しなければならない。」とも書かれています。とどのつまり「個性」ということなのでしょうか。誰の真似でもない、自分の表現。技術的な優劣は経験を積んだ方々が見ればわかることなのでしょうが、個性的表現の場合は作品を気に入ってくれる人がいて、さらにその人に広める力が備わっていることが重要なのだろうなと、ピカソとルソーの関係を読みながら思いました。ルソーの王道アーティストとは違うユニークな経歴はこの時代には日曜画家と揶揄されたようですが、今の時代なら逆にメディアにおもしろがって取り上げられそうです。

見出されるに価する個性はあるか、自分にも投げかけたい問いです。

 

 

 

 

楽園のカンヴァス (新潮文庫)