点々

そぞろごと Reviews + Opinions

「神の火」 高村薫

これまたおもしろかった・・!「リヴィエラを撃て」と同じような雰囲気の満足感が得られました。読み終わった後には、はー・・っと息を長く吐きたくなるような物語の大きさと重さと、またもやかすかな希望を残しつつも誰も救われないエンディング。読後しばらく物語の世界から抜け出せないような重苦しさがありましたが、色々と考えさせられながらもドラマの面白さを楽しむことができました。

高村薫評では初期は比較的読みやすいハードボイルド、そこから徐々に純文学スタイルへ変換を遂げる・・といったものを散見しますが、なるほど「リヴィエラを撃て」にしてもこの「神の火」にしても、読み手に忍耐を課すパートがなく、物語がぐいぐい読ませてくれました。

 

それにしても冷戦、ソヴィエト、アメリカ、KGB、CIA、公安とサスペンスものには欠かせないエレメントが次々登場し、それだけでもワクワクさせられます。私は世代的に冷戦には馴染みが薄いのですが、ベルリンの壁を壊し歓喜する民衆の姿を映したテレビを観ながら、父が「おまえはすごい時代に生きているんだぞ!」と興奮気味に言っていたのを思い出します。それほど大きな時代の変化が起こる前夜の物語。ワンピースで言うところの「時代のうねり」が起きていたというところでしょうか。今作では米露というふたつの大きな力に引っ張られた世界の狭間で暗躍し、駆け引きし、国益のために不都合となれば消えるしかないスパイたちの刹那的な人生が魅力的です。その中でも今の時代ではなかなかお目にかかれなそうな存在、ジェントルマン江口が強烈な存在感を放っています。そんな彼がスパイに身を落とした理由は国家への失望でした。物語中盤、江口が島田に語る台詞が印象的です。

 

『敗戦のとき、私はこれで新しい日本国が出来るぞと小躍りしたもんだ。(中略)ところが、五年待って十年待って、あれれ・・・だ。国民主権というが、国民の選んだ政治家が、外国から金貰って言うなりになっている国がどこにある。(中略)日本人が自分の国と意識するに足る主権を持ってこなかったのは、全部日本人の責任だ。自分で考えず、自腹を切らず、責任も取らず、自分の懐だけ肥やすような国民に、自分の国が持てるはずがない。』

 

この部分を読んで、これは高村薫という作家が日本に対して言っている意見のようにも感じ、とても頭に残っています。

 

「神の火」の一番大きなテーマは原発です。「人間が作ったものが果たして絶対安全と言えるのか否か」を問うている物語であると読みました。チェルノブイリを体験したパーヴェルが「戦争のない地球を想定して建てられた」「世界一安全と言われている日本の原発」に挑もうと計画し、原発技術者である主人公島田が答えを出そうともがきます。その答えは、物語の中では島田の竹馬の友である日野と企てた原発襲撃という形で導き出されたように思います。そして20年前出版されたこの小説で作者の高村薫氏によって投げかけられた問いに対する答えは、5年前の震災で出たのかもしれません。現代のこの国で起きたあの大災害の後、新たな日本のあり方が示されるのかと期待してはみたものの必ずしも清々しい状況ではない様子を見て、社会の隅っこで細々と暮らす一市民でしかない私も江口と同じくあれれ・・・と感じることがあります。ですから殊更この台詞が印象的なのかもしれません。

 

それにしても魅力的な登場人物が盛りだくさんでした。通常通り男たちの関係性の湿度が高い、濃い。島田と日野を始めとして、彼らに愛され尽くされるパーヴェル、そして江口、ハロルド、ボリスなどなど。島田と日野の関係は「照柿」の合田と野田を想起させます。子供時代の親不在が原因で心に空洞を抱えたり、大人になってからも子供時代に忘れてきた何かのせいでもがき続ける、という構造が共通しているように思います。ただ、違うところは島田と日野は憎しみ合うのではなく、子供時代の関係に戻れたという点でしょうか。それはお互いに対する執着の正体がわかったからなのかしら。その執着の象徴、島田の碧い瞳。それを食べたかったという日野・・・。原発襲撃を決めた後日野が言う「めだま、ふたあつ!」という台詞、狂っていて好きです。日野は野生的で豪快で、オスのフェロモン分泌量が多そうです。それなのに頭も良く器用で優しく極め付けに影もあるとなれば、ギャップにあてられる女性も多いでしょう。そんな日野が執着した島田(の目玉)。実際手に入ったわけではないでしょうが、概念的には手に入れたんでしょう。二人の最後は明確には書かれていませんが、二人とも幼い時に欲しかったものを手に入れ、ある意味幸せな最後だったのだと解釈しています。

 

神の火〈上〉 (新潮文庫)

神の火〈下〉 (新潮文庫)