点々

そぞろごと Reviews + Opinions

ふたつのアニメ「鋼の錬金術師」

最近興味津々だったこの作品、原作を読みたいけれど全27巻も買ってしまうと繰り返し読む習性のある私はおそらく当分の間廃人になってしまい、仕事も母親業も妻業も疎かになってしまうと考え控えておりました。が、House of cardsシーズン4を観たくて登録していたNetflixでこともあろうか視聴できることを発見してしまい、そのまま一気見地獄に!結果、いい年してと言いますか、やること諸々多いいい年の人間だからと言いますか、無限の時間帯夜中を使って1週間という短期間に二つのシリーズを観てしまうという暴挙を果たしました。(全100話以上・・・)観終わった今、展開異なる2シーズン分の情報量が頭に流れ込んできて未だ整理できておりませんが、もんのすんごくおもしろかったという気持ちに打ち震えております。結局、原作をすこぶる読みたい。

 

私は新旧作の存在を知らずたまたま古い方のシリーズから観始めましたが、ネット上のレビューやなんかをみていたら、どちらのシリーズが好きかという議論があるようです。アニメ一作目は暗く重めな展開、二作目は原作に忠実で楽しいシーンも多めとか。物語の核となる部分が異なっているのでどっちが面白かったという単純比較はできませんが、私としては全体的な印象はそんなに違いませんでしたし、話の道筋は違えどどちらもすこぶる楽しめました。確かに一作目の方がヒューズ中佐と兄弟の触れ合いが多くて無念さに厚みがあったなとか、マリアロス大尉の「大人を頼れ」と言うくだりに重みがあって兄弟がまだ子供であるという事実の再認識ができたなとか、マスタング大佐の「なぜ私を頼らず勝手に逃亡した!」という台詞に普段は見せない懐の深さが表れて熱かったなとか、人間関係が丁寧に描かれていた印象はあります。逆に新しい方は個々の物語の面白さもさることながら、大きな物語がぐいぐいと展開してゆき、引っ張られながらどんどん先を見てしまうような疾走感が味わえました。終わり方に関しても、旧作のエンディングは視聴者も兄弟の覚悟を飲み込んでぐっと耐えることが求められた(気がする)反面、新作では壮大に広がったストーリーがすーっと中心に帰ってきてちゃんと閉じられ、幸せな雰囲気で終わりを迎えられたところが爽快でした。

物語としてはどちらの結末も良いものですが、私はやはり大円団ハッピーエンド大好きです。なぜなら視聴者は長い物語を追って行く中で、登場人物に共感したり応援したい気持ちになったり好きになったりという感情を持つに至るわけであります。道中長い付き合いになる彼らには、やはり幸せになってもらいたい。登場人物たちの遂げたい想いに対する覚悟が明確であればあるほど、良い形で達成してほしいと手に汗握ってエールを送るというものです。さらに新作版では主役から脇役そして本来背景になってしまいそうな人たちまで(キメラのおじさんたちとか)、皆意味を持って最終章に残されていたところが素晴らしかった。諦めず生き抜いた人たちには、みな一様に希望が残されるエンディング。現実の人生もそうであってほしいと思わず考えます。

 

少年漫画に色々考えさせられる。

それにしても、ふたつのシリーズを通していいシーンがたくさんありました。互いに相手の利益を優先する兄弟の覚悟や、自分より弱いものを守るという大佐の一貫した姿勢、最後の戦いを戦う主人公の激情四白眼、誤解から生じた親子のすれ違いと和解、そして国や種族を超えた友情などなどなど。でもなぜか一番心に残っているのは新作の終盤、ちっちゃな緑のエンヴィーの最後です。見下して馬鹿にしくさっていたちび主人公に俺様が理解されてしまったと気づいたとき、絞り出た「わーーーっ!!」という魂の絶叫。人間の嫉妬を煽っていたつもりが、自分が人間に嫉妬していたという真逆の事実を突きつけられ、自らの世界が壊れてゆくことに混乱し絶望しているようにも見えました。その後消えゆきながら子供のような口調で言った「バイバイ、エドワード・エルリック・・」という台詞はエドへの親近感さえ感じさせ、やるせなさ倍増です。エンヴィーは好きな子にいじわるしちゃう小学生のよう。勇気も自信もあって挫折から立ち上がる力もある、自分にはないところばかり持ったエドと本心では友達になりたかったのかもしれない。そんな甘いものではないかな?でももしエンヴィーがエドたちを羨ましいと感じている感情を認めて一歩踏み出せていたのなら、リンとグリードのように何がしかの絆を結ぶこともあったのかもしれない、またはラースのように良い死に様になったかもしれない、と思ったりしました。嫉妬とは醜いものだなと吐いた怒れる大佐は、エンヴィーが消えた後「自ら命を絶つか。卑怯者め。」とぽそっと言いました。エンヴィーは人間なんて所詮は自分と同じ穴の狢だと思っていた。けれど自分は決して持ち得ない人間の強さを目の前でまざまざと見せつけられて、消えることを選んだように思います。だから本人は意図していなかったでしょうけれど、自死することで結果として大佐がダークサイドに堕ちるのを止めてしまった。なんとも哀れな生でした。

 

人間界(というかキリスト教か)では罪とされる七つの属性を象徴する七体のホムンクルス。彼らはこの物語にとってどんな存在なんでしょう。グラトニー・スロース・プライドは自らの属性に飲み込まれる形で無念そうに消えました(いや、スロースは怠け者すぎてそんなことすら考えないか)。逆にエンヴィー・グリード・ラース・ラストは人間への共感や憧れを無意識的に持ち、ある意味納得して消えた。そう考えると、この物語が提示しているのは「人間らしさの肯定」ということでしょうか。それは誰に制限されることなく、様々な感情や仲間や家族などのコミュニティを持つことを許される自由な生。一方的な愛ではなく、与えた分応えてもらうことのできる関係性。大いなる計画通りに進む予定調和の人生ではなく、予想外のことが起き思い通りにならない人生。その過程で生じる困難や負の感情と向き合い、乗り越えて行く先に得られる心の成長。そういったものが人間らしさの説明として散りばめられている気がします。

 

ちなみに七つの大罪についてインターネットでちらちら調べていたら、時代によって変わっているようですね。なんと2008年にはヴァチカンが現代版七つの大罪を発表しており、遺伝子改造・人体実験・環境汚染・社会的不公正・貧困の原因となる行い・行き過ぎた裕福さ・麻薬中毒を挙げているそうです。(The Seven New Deadly Sins - Best Inventions of 2008 - TIME)なんとも具体的です。

 

 

それにしてもおもしろかったアニメ版。わたし、少年ではないので少年漫画の戦闘シーンには興味が持てず、さっさと飛ばしてしまうことが多々あります。が、「鋼の錬金術師」の戦闘シーンはダイナミックでかっこよかった!(そして長すぎないのが実にいい!)特にキング・ブラッドレイのエレガントで凄まじいスピード感、マスタング大佐のベギラゴン的攻撃がすごくいい!けれどエンヴィー(巨大トカゲ版)のあちこちの口からエンドレスに人が生まれ出づる感じは恐怖でしたし、プライドの目玉の動きは気味悪いし、真理は得体が知れないし、子供と一緒には見るまいと心に誓いました。

 

 

 

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WOWOWドラマ 「レディ・ジョーカー」

WOWOWドラマ「マークスの山」がおもしろかったので、早速「レディー・ジョーカー」も借りてきて観ました。胸、震えました。原作は長いですし、登場人物も場面転換も多いことから頭の中で整理しながら読むのに苦労しましたが、やはり映像化されるとわかりやすいものです。(原作と異なるところはあるにしろ。)原作で目立っていた合田さんの心理的壊れかけな状況はドラマにしにくいという事もあるのでしょうが、ドラマ版では城山社長の立場のやるせなさが際立ち、主役のように感じるほどでした。原作との違いなどは気にならず、ひとつのドラマ作品として集中して鑑賞することができました。

 

犯行グループが名乗るレディ・ジョーカー。そもそもジョーカーという言葉は、障害のある娘と病気の妻を持つ布川の苦労多い人生から紡ぎ出されたものでした。不遇な人生を過ごしている人や、人生に行き詰まった人がたまたま集まり、ただ何かに一泡吹かせたいという理由で始まった事件にただ運悪く巻き込まれた日の出ビールの、たまたま社長であっただけの城山氏。結果的に事件を大きくしてしまう要因は城山氏関係者側にもあったとはいえ、終盤城山氏が合田さんに言ったように、彼はただ「ジョーカーを引いてしまった」だけのように見えました。しかし結果として彼は会社と身内に不幸を招いただけではなく、最終的には自身の命まで落としてしまった。その原因は、城山氏が企業運営に人としての筋を通そうとしたことによって「社会のルール違反者」とみなされ、警察からも見捨てられる要因になった・・ということでしょうか。人としてまっとうであろうとしている点で共鳴していたように見えた城山氏と合田さんですが、合田さんにしても刑事としてまっとうに事件解決をしようと動いていただけのはずです。しかし不遇な状況に追い込まれて孤独な上、今回もかわいそうなことに同僚に殴られておりました。

 

組織の体面を守ることが絶対正義という大人社会のルールの中で、人としてまっとうであろうとした城山氏や合田刑事の行動は正当化されることがないまま、エンディングを迎えました。最後の方で八代記者は「この国はいったいどうなっているんだ」とつぶやきました。八代記者が警察に絶望したように、国のお偉い方が守ろうとするものの正体を暴くことは社会のルールとして許されないわけです。暴こうとする存在は排除することで、世の中はつつがなく運営されている。それが現実だからこそ、裏組織とのつながりをいわば公表した日の出ビールの城山・倉田の行いを「勘違いしている」と、合田的ではない刑事たちは思う。しかし突き詰めて行けば、得体の知れない闇の正体も個々のお金や権力への執着であるわけですし、そのために人の命が犠牲にされるとはなんともくだらなく、せつなく、やるせない。視聴後はやりきれない思いで胸が満たされましたが、ドラマを見た感想としては、世の中の触れてはならないものを知ったような気分になって「おもしろかった-!」と大声で叫ぶほど楽しめました。家族で「現実社会でも城山のようにルール変更を伴う本質的なことに手をつけると嫌がられるよねー!」とレイヤー違いの話で盛り上がりました。

 

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「神の火」 高村薫

これまたおもしろかった・・!「リヴィエラを撃て」と同じような雰囲気の満足感が得られました。読み終わった後には、はー・・っと息を長く吐きたくなるような物語の大きさと重さと、またもやかすかな希望を残しつつも誰も救われないエンディング。読後しばらく物語の世界から抜け出せないような重苦しさがありましたが、色々と考えさせられながらもドラマの面白さを楽しむことができました。

高村薫評では初期は比較的読みやすいハードボイルド、そこから徐々に純文学スタイルへ変換を遂げる・・といったものを散見しますが、なるほど「リヴィエラを撃て」にしてもこの「神の火」にしても、読み手に忍耐を課すパートがなく、物語がぐいぐい読ませてくれました。

 

それにしても冷戦、ソヴィエト、アメリカ、KGB、CIA、公安とサスペンスものには欠かせないエレメントが次々登場し、それだけでもワクワクさせられます。私は世代的に冷戦には馴染みが薄いのですが、ベルリンの壁を壊し歓喜する民衆の姿を映したテレビを観ながら、父が「おまえはすごい時代に生きているんだぞ!」と興奮気味に言っていたのを思い出します。それほど大きな時代の変化が起こる前夜の物語。ワンピースで言うところの「時代のうねり」が起きていたというところでしょうか。今作では米露というふたつの大きな力に引っ張られた世界の狭間で暗躍し、駆け引きし、国益のために不都合となれば消えるしかないスパイたちの刹那的な人生が魅力的です。その中でも今の時代ではなかなかお目にかかれなそうな存在、ジェントルマン江口が強烈な存在感を放っています。そんな彼がスパイに身を落とした理由は国家への失望でした。物語中盤、江口が島田に語る台詞が印象的です。

 

『敗戦のとき、私はこれで新しい日本国が出来るぞと小躍りしたもんだ。(中略)ところが、五年待って十年待って、あれれ・・・だ。国民主権というが、国民の選んだ政治家が、外国から金貰って言うなりになっている国がどこにある。(中略)日本人が自分の国と意識するに足る主権を持ってこなかったのは、全部日本人の責任だ。自分で考えず、自腹を切らず、責任も取らず、自分の懐だけ肥やすような国民に、自分の国が持てるはずがない。』

 

この部分を読んで、これは高村薫という作家が日本に対して言っている意見のようにも感じ、とても頭に残っています。

 

「神の火」の一番大きなテーマは原発です。「人間が作ったものが果たして絶対安全と言えるのか否か」を問うている物語であると読みました。チェルノブイリを体験したパーヴェルが「戦争のない地球を想定して建てられた」「世界一安全と言われている日本の原発」に挑もうと計画し、原発技術者である主人公島田が答えを出そうともがきます。その答えは、物語の中では島田の竹馬の友である日野と企てた原発襲撃という形で導き出されたように思います。そして20年前出版されたこの小説で作者の高村薫氏によって投げかけられた問いに対する答えは、5年前の震災で出たのかもしれません。現代のこの国で起きたあの大災害の後、新たな日本のあり方が示されるのかと期待してはみたものの必ずしも清々しい状況ではない様子を見て、社会の隅っこで細々と暮らす一市民でしかない私も江口と同じくあれれ・・・と感じることがあります。ですから殊更この台詞が印象的なのかもしれません。

 

それにしても魅力的な登場人物が盛りだくさんでした。通常通り男たちの関係性の湿度が高い、濃い。島田と日野を始めとして、彼らに愛され尽くされるパーヴェル、そして江口、ハロルド、ボリスなどなど。島田と日野の関係は「照柿」の合田と野田を想起させます。子供時代の親不在が原因で心に空洞を抱えたり、大人になってからも子供時代に忘れてきた何かのせいでもがき続ける、という構造が共通しているように思います。ただ、違うところは島田と日野は憎しみ合うのではなく、子供時代の関係に戻れたという点でしょうか。それはお互いに対する執着の正体がわかったからなのかしら。その執着の象徴、島田の碧い瞳。それを食べたかったという日野・・・。原発襲撃を決めた後日野が言う「めだま、ふたあつ!」という台詞、狂っていて好きです。日野は野生的で豪快で、オスのフェロモン分泌量が多そうです。それなのに頭も良く器用で優しく極め付けに影もあるとなれば、ギャップにあてられる女性も多いでしょう。そんな日野が執着した島田(の目玉)。実際手に入ったわけではないでしょうが、概念的には手に入れたんでしょう。二人の最後は明確には書かれていませんが、二人とも幼い時に欲しかったものを手に入れ、ある意味幸せな最後だったのだと解釈しています。

 

神の火〈上〉 (新潮文庫)

神の火〈下〉 (新潮文庫)

 

「百姓貴族」 荒川弘

YouTubeでなつかしい90年代音楽を聴く → 90年代ロックバンド特集の中にL'Arc〜en〜Cielを発見。ほぼ初めてちゃんと聴く。 → L'Arc〜en〜Cielがマディソンスクエアガーデンでライブをしたことを(今更)知る。よく知らないのに同じ日本人として感動。 → なぜ彼らが海外でこんなに人気があるのか調べる。 → 「鋼の錬金術師」というアニメの主題歌がひとつのきっかけとしてあったことを知る。 → 「鋼の錬金術師」はどんな漫画だろうかとAmazonで調べ、物語の評価が高いことを知る。 → 作者が女性であることを知り、そのギャップに一体どんな人だろうかと俄然興味が湧く。 → 漫画家になる前は家業の農業に従事していたことを知り、「百姓貴族」という漫画を出版していることを知る。→ 購入。

 

という、インターネットの彷徨い方としてはありがちな連想ゲーム方式でたどり着いた本書です。なんというか・・・、面白かった。農業に従事している人の生存能力の高さに驚き、都会で自分の体を酷使することなくぬくぬくと暮らしている自分を省みて恥じ入るような気持ちになりました。私も日本人ですから「いただきます」は毎食言います。しかしそれが「命をいただく」ことを意味していることは、恥ずかしながらかなり大人になるまで理解していませんでした。この言葉にこそ、日本人の自然観とか命に対する考え方とか詰まっているのかもしれないと、考えさせられます。その源流である食べ物の命そのものに関わっている人たちは肝の座り方が違う。都会にいるとぬるい正義感を振りかざしたくなることも多いのですが、命を消費することにセンチメンタルな気持ちを抱くのではなく、人間は雑食動物であるという事実の上に立って労働する農業酪農漁業に携わる方々はすごい、と生ぬるい都会の人間にありがちな感想を抱きました。

 

それにしても学校から帰って来たらご近所の猟師さんからのおすそ分けの鹿の脚が玄関に置いてあったとか、農業高校の食品加工の授業でニワトリの内臓抜くとか豚の去勢手術実習があるとか・・・生と死と食肉の境界線に生きてる様が逞しすぎる・・!この本を読んでいると農業と獣医という違いはあれど、北海道のダイナミックな自然現象に対して泰然としている様から「動物のお医者さん 」を思い出します。

 

しかし、絵を描きながらも北海道で農業をしていた作者の方がどのようにヨーロッパを舞台とした錬金術にたどり着いたのか、その辺も興味が湧きます。

 

 

百姓貴族 (1) (ウィングス・コミックス)

 

インフルエンザひやり。

またもや我が家の子供が突然の高熱を出す。通っている幼稚園では未だ学級閉鎖になろうかと言う勢いでインフルエンザが流行っています。しかしもう済んだこと・・経験者であるうちの子がかかるはずがない・・と思っていたら、先日かかったA型に続いてB型の流行が兆し始めたそうな!同じ顔をしているかと思えば別人である、それがインフルエンザの恐ろしいところなのだと改めて知りました。

病院に行ったところ、先日鼻の奥の奥まで検査キットを突っ込まれてぐりぐりこすられたトラウマを鮮明に覚えていたようで、近年稀に見る怯えよう。正直母さん笑いました。しかし結果は陰性、インフルエンザで弱っていた体になにがしかのなにがしかが入って喉が腫れた末の熱だったとのことでした。インフルエンザが如何に日常生活を破壊するか、記憶に新しい我が家としては心の底からホッといたしました。

WOWOWドラマ「マークスの山」

むぅ。おもしろかった・・・!DVD3枚、全5話。日曜の午後に一気に観てしまいました。

原作と違うところもありますが別物と呼びたくなる程でもなく、どちらも醸し出す世界観に緊密さがあって観終わった後は原作読了後と似たような気分になりました。もちろん原作を読んでいる時に想像してたのと違うなと感じることもちらほらありました。例えば内面に悶々とした問答を抱えながらもアウトプットは神経質な程少なめな合田さんがドラマでは熱血漢寄りの人間として描かれていたり、がんじがらめの組織でも上品にスマートに渡ってしまうイメージだった加納には押しつぶした声よりももっと澄んだ声で話して欲しかった、などなど。しかしイメージの答え合わせなぞ忘れさせてくれるほど素晴らしい警察人間ドラマで、引き込まれてしまいました。特に後半車の中で合田が加納に声を荒げるシーンには涙が出ました。感情の通常営業ラインを超えた激情って、その人間が抱えているものに対する必死さが表れていてぐっと来ます。そしてヒロユキと真知子の互いに対する優しさや、世界にふたりぼっちな悲壮感や純粋さがせつなく、これまた泣けました。

 

それにしても、原作を読んでいた時強く心に残った組織というもののやるせなさが、映像で観るとさらに強くなります。警察も検察も出版社でさえも「上からの命令だ」の一言ですべてが終わってしまう。人の命を救うことを第一に優先して然るべきなのに、そうはさせてもらえない世の中の構造。しかも「上」を辿っていけば、各組織のやんごとなき方々によって積み重ねられた暗部を結託して守ることで組織が維持されているという現実。原作は希望も正義もない形で終了しましたが、このドラマ版での明るい光を挙げるなら女性になった根来が取材を続ける覚悟をしていることでしょうか。しかし彼女は無事取材を進められるのか、またどこから記事を発信できるのか・・・気になります。

 

「組織の体面 vs 職務に対する正義」というテーマがこの作品の中に強く存在していますが、ドラマ版でも合田刑事、根来記者、そして静かにたぎる検事加納にも戦う姿が見られます。熱い、熱い職場現場です。至極軽い言い方ですが、世の中の不条理と戦い、命(または首)をかける程の仕事をしているってすばらしく充実した日々であろうと想像してしまいます。これまたドラマオリジナルの展開でしたが貴代子が合田に言う「あなたはその緊張感に身を置くことが好きなのよ」みたいな台詞に象徴されていました。すぐに自分に置き換えて考えたがる母たる私の悪い癖ですが、彼らのように100%のコミットメントを求められ、緊張感を切らすことが許されない仕事を持ちながらも家庭がある人はどのように折り合いをつけるのだろう。家庭を放り投げて任せられる妻(か夫)がいる人ならいざ知らず、そうでなければ両立し得ないのだろうか。ワークライフバランスなんていうファンシーな言葉は夢でしかない、そんな世界なのかもしれません。

 

兎にも角にも楽しめました。次回は早速WOWOW制作の「レディ・ジョーカー」を観たいと思います。

 

マークスの山 DVDコレクターズ・BOX (3枚組)

「リヴィエラを撃て」 高村薫

おおお、おもしろかったー!

ここ数ヶ月で高村薫さんの作品をいくつか読んで来ました。今まで読んだものは事件の解明よりもそこに関わる人間の心理に迫るものが多く、読んでいて苦しくもあり、しかしだからこそ胸をぎゅっとつかまれるような言葉があって、読み終わった後も物語から抜けられないような余韻の深さが印象的です。人間描写の緻密さは同じくありながらも「リヴィエラを撃て」は今までと少し印象が異なり、事件を追うことを目的として読めました。読者にとっては真相を知りたくてページをめくり続けるような、疾走感のある物語。全編を通して亡霊のように存在する「リヴィエラ」、美しい男と女たち、臨場感あるアイルランドの風景とブラームスの描写、スポットライトが当たっては死んで行きどんどん入れ替わる主人公たち、そしてその最後のバトンを受け取った日本の手島。引き込まれる要素がたくさん散りばめられていますが、わずかな希望を除けば登場人物たちには救いも逃げ道も用意されておらず、結末は重苦しいものでした。

 

多くの人を巻き込みながら自身の命をかけて「リヴィエラ」を追ったシンクレアダーラム候、ケリー、そしてジャック。しかし追っていた、いや追わされていたものはまやかしであり、彼らは国家間を蠢く私利私欲にまみれた輩たちの描いた絵の中で闘っていたに過ぎなかった。スパイやテロリストとして生きてしまった彼らは駒としての人生を受け入れることしか許されず、真実や正義の追求を求めた途端終わる定の生涯でした。読後感の重さは、国益という大義名分に隠れた私欲のために簡単に消される命の軽さがとてもせつなく、やるせなかったためでしょうか。

 

合田シリーズでも警察組織への絶望のようなものが描かれていますが、今回手島も同じくいやそれ以上に大きく傷つき絶望し、日本人というアイデンティティすら手放してしまう原因となりました。エンディングの日本の国家組織の有り様には熱さも正義もなく、これまた国益という皮を被った日和見主義に感じられました。まあ、国家機関とは感情を抑えながら何かを維持してゆくのが仕事なのでしょうけども。手島に関しては、疑問と矛盾を抱えて警察組織で働いてきた14年間であり、どのみちそのひずみが表層化する時期にさしかかっていたのでしょう。だからきっとこの大事件に巻き込まれなくても人生の選択を迫れられていたのであろうと想像します。それにしても、妻が強い。女の鏡です。

 

イギリス、中国、アメリカを跨いだ秘密の鍵となるのが日本人の「リヴィエラ」。大国の陰謀うずまく裏の世界で、一体日本人がこんなにキーマンとなることがあるのか?と、若干違和感を覚えながら読み進めましたが、最後まで読んで納得のストーリーでした。読み終わった今、気になるのはリトル・ジャックの将来。そして妄想キャスティングがわたしの頭の中でものすごい勢いで進んでいます・・・。

 

リヴィエラを撃て〈上〉 (新潮文庫)

リヴィエラを撃て〈下〉  新潮文庫